ホームプロフィールイベント情報リンク

むとう有子をとりまくうるさい人たちの声


No.27
求められる?勝ち組社会

明石 紀久男
 小泉さん一人勝ちの選挙が終わった。彼の標榜する「官から民へ」は市場原理に立つもので,更なる勝ち組・負け組の格差をよしとする。
 自己責任を強調する市場原理の競争社会が益々テコ入れされて行けば自ずと種々の格差が生まれ,その乖離の大きさはどんどん開いて行くことになる。「負け組」には住みにくく,生きにくい社会づくりが加速していく。
 リストラで職を失い,定年で職を離れ,行き場のない身体とこころ(希望)がうつ病を生み自殺者をつくりだす。中高年だけではない。さらに不登校・ひきこもり・ニートと呼ばれる,若者たちのすがたが見えてくる。社会不適応=「負け組」である。しかしほんとに私たちは,勝ち負けの社会を求めているのだろうか?
 それぞれの存在が,持って生まれた味を生かして,楽しく面白がって生きられる人生があればそれでいいのではないか。少なくともそうした生き方が認められる社会になることが求められているのではなかろうか。 
 若者達を「復帰」させようとしている社会は,彼らが居心地よく居られる場所なのか。私たちの社会は,社会の側が変わろうとするのではなく子どもや若者に変われ!と強要する。しかし,未来は彼らが創る。彼らが生きやすく生きられる社会こそが,彼らの未来であり,私たちの未来でもある。
 私たちにとって大切なのは「支援」とか「援助」とかいう言葉にかくれて協調を強制したり,「かかわり」を強要したりすることではなく,彼らが,彼らなりに,納得して生きられる環境を提供することに腐心することではないか。ひとつひとつを丁寧に考え,行動しようとする彼らの在り方は経済成長を最優先に考え「勝ち組・負け組」をつくり出して来た競争の現代とは,明らかに違う社会・時代をめざしているように見える。
 支援とか援助とかいわれているものの正体は一体何か,必要とされるものに応えようとしているのか,お茶を濁して済ましていないか。
 武藤さんの出番はつづきます。
 しっかり!

もどる