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むとう有子をとりまくうるさい人たちの声


No.45
   投 票 心 起


   猿谷 悠

 上空を旋回するとびが今日はいない。沈丁花の香りもどこかそぞろ。彼の母が議員だとは知らなかった。
 駅前に立って、いつも私が厭がる大きさの、それよりも一段と大きな声で、苦声をあげる。街の人はやはりいつもと同じように他人を決め込む。私が今までそうしてきたように。
 レポートを撒く。わずかばかりの引きつった愛想と共に。何かを拒絶するかのように少し急いでいる。こぶしを誰かに向かって上げることはないけれど、今日の街の人たちはいつもより少し堅くこぶしをにぎっている。
 よく考えてみれば、それは今日に限ったことではないのかもしれない。これまでも当たり前にあった風景。いや、誰も記念写真を撮っていないから、風景と呼べる代物でもない。
 今日の違和感は、街のせいではなく、私が変わったせいなのだろうか。何かを伝える側に回ればこうも空気が変わるものか。伝えようと思う気持ちが強くなればなるほど、私と街の人との距離が何だか離れていく気がするのは皮肉なことだ。
 私の声は、通りを行き交う人の体を通り抜け、空に放り出されてしまっているのではないか。いっそ、私ごとどこかに放り出されればいいのに。
 ふと、老婆のしわがれた手が私の体に伸びた。その手は一気に私の心をつかみ、もとあった場所に私を戻してくれた。
 私の声は彼女の体だけはすり抜けなかったのだろうか。いや、彼女だけが生き生きとした耳を持っていたのだ。
 幸いなことに、私の声は彼女をほんの少し奮わせることができたのだろう。
 気が付けば、彼の母の声にも心を奮わせている人がいた。その振動は目を凝らしていなければ見失ってしまいそうなほど小さいけれど、確固たる信念で強く奮えていた。
 後日、彼の母に伸びた手が2800余りにもなったことを知った。私の心は決して忘れることのできない大きさでふるえていた。

 今、私の遥か上空を一羽の鷹が一直線に飛び抜けた。

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