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むとう有子をとりまくうるさい人たちの声


No.58
   環境の時代の図書館

                            増井 潤一郎

 中野区立図書館の指定管理者に四月から三年間、これまでのNPO法人にかわって民間事業者が指定された。
 中野区の図書館の現状へのぼくの不満は、 収蔵庫が狭いことだ(その結果、二〇一二年度「東京都公立図書館調査」によると、新聞雑誌や視聴覚資料を除き、児童書、洋書、地域資料を含む図書総数は杉並の二三一万に対して中野は九五万)。そのために図書館では「リサイクル図書の提供」をする一方で「図書寄贈」を求めている。察するに、蔵書回転率の悪い本は保管せず区民にあげればスペースができ、新しい本は区民からもらえれば経費もかかるまい、ということだろう。
 しかし、現在の新聞・出版界は、ずっと売り続けることも再版することも厳しく、機会を逃すと二度と手に入らない本が多い。したがって図書館では高い見識で多様な本を選び、区民の共有財産として守り、後世に遺す役割も期待される。
 時代に先駆けた本、著者が命をかけた本であっても、その価値をすぐ評価できないことが多いから多様性は必要だ。また回転率は本の価値を必ずしも示していない。まさに時間こそが本の真価を決める。長く、大切に本を伝えることは環境の時代に相応しい。  井上ひさしの戯曲『父と暮せば』では、広島で被爆して生き残った司書の娘に、父親の亡霊がこう叱る。「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそよなことを伝えるところじゃないんか」。図書館の役割について考えさせられることばだ。

 さて選書も除籍も、現状では区の職員も関わっているようだが、管理者の変更後もこの現状が保証されるかわからないと危惧していた。むとうさんから、今までの基準に問題がないわけではないとしながらも、「これまでと同じ、図書の廃棄と購入基準が適用されることになっていますので、その点は大丈夫」と教えられ、ひと安心したものの、民間事業者の運営や区の指定の可否を一区民として厳しく見つめていきたい。



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