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むとう有子をとりまくうるさい人たちの声


No.60
   「福島を忘れない!全国シンポジウム」に参加して

                              岡田 豊

 むとうさんのお誘いで、8月17日から18日に福島で行われたシンポジウムと現地訪問に参加してきた。1日目は、福島市内の会場で100人を超える自治体議員と市民が参加してのシンポジウム。7名の方からお話を伺った。

 円通寺住職の吉岡棟憲さんは「福島の人たちを被災者ではなく、被害者というべきだ。被害者ならば加害者がはっきりする。福島原発ではなく東京電力福島原子力発電所と呼ぶべき。東京のための発電所だ」と。その言葉が重い。川俣町山木屋地区(避難地域)の議員は、「アブラムシの1割に奇形が生じ、鳥も減ってしまった」と小さな命が警告する放射能汚染の実態を語った。飯舘村の酪農家は「村長が行政機構の存続にこだわり、村民の命と健康を優先しなかった」と怒る。葛尾村の村議は事故が重大と認識し、「国や県の避難指示を待たずに3月14日に全村避難を決定した」と語った。川俣町の議員は事故に遭遇し、「自治体とは何か?とあらためて自問した」と語った。

 2日目は、地元の議員さんの案内で市内の仮設住宅をかわきりに飯舘村、川俣町、葛尾村をバスで回った。自然豊かな美しい所である。だが参加者が持参した放射線検知器が車中のあちこちで鳴り、原発震災の被災地であることを警告する。家々に人影はなく、牛舎に牛はいない。田には稲穂にかわって雑草と除染廃棄物の袋。除染をすれば「安心・安全」と住民を帰還に誘導する力の存在が垣間見える。同乗の議員さんが言う。「あの家は4月に入居の予定だった」、「避難すればあの家の息子は親を捨てたといわれる。こんな状態ではもう祭りなんてできない」と。人々の悲しみと無念さに思いを馳せた。  2日間の私の旅の結論は、“悲劇を繰り返してはならない”。負の遺産をこれ以上子供たちに残さないために、原発をやめる選択をしなくてはならない。

 昨年、中野のあるマンションの雨どいの汚泥から基準値を大幅に上回る放射能が検出された。中野区は23区の中で唯一給食の放射能測定を行っていない。

 非核宣言都市中野、福祉の中野を再び私たちの手に取戻したい。



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