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むとう有子をとりまくうるさい人たちの声


No.77
    「静思堂」にて

          千葉 保

 兵庫県出石町の斉藤隆夫生誕の地には記念館「静思堂」がある。斎藤隆夫は1912年に42歳で衆議院議員に初当選し、以後37年間にわたって政治家として活躍した。
 彼はたびたび帝国議会で演説し、軍部の政治介入、軍部におもねる政治家を批判するなど、立憲政治家としての使命を全うしようとした。
 彼の有名な演説が1940年(昭和15年)第75回帝国議会での「反軍演説」だ。「唯徒(ただいたずら)に聖戦の美名に隠れ国民的犠牲を閑却し、国際正義、道義外交、共存共栄など雲を掴むような文字を列べ立てて国家百年の大計を誤ってはならない」。
 しかしこの演説で彼は衆議院議員を除名させられる。「静思堂」にはその通知が展示してあった。

 軍国主義に屈しなかった彼は「憲政の神様」として庶民から尊敬され、出石の民衆は次の選挙で斉藤をトップ当選させる。
 しかし時代は戦線拡大の一途をたどり、政治は大政翼賛会が議会機能を失わせていった。そうして国民を塗炭の苦しみに巻き込んでいったのだ。
 今、政治が当時の状況に近づいてはいないか。秘密保護法、集団的自衛権の安保法制強行、立憲主義の無視、マスコミへの圧力…。

 「静思堂」を訪れ、しばし斉藤隆夫の不屈の闘志に浸った。彼が当時、選挙演説を行ったという芝居小屋「永楽舘」の観客席で座布団に座り、民衆とともに歩み続ける政治家の存在の大きさを思った。
 出石には皿そばの店が多くある。店のおばさんが私の持っていた「静思堂」のパンフを見つけ「あら行ってきたの」と笑顔になった。  皿そばはおいしかった。おばさんは椎茸御飯と漬け物まで差し入れてくれた。  斉藤隆夫は今も出石の人たちに愛されている。

 むとう有子さんは市民に寄り添う区議だ。中野区の斉藤隆夫を目指してほしい。 応援している。

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