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カトマンズからの便り

バルの仕事はトレッキングガイド

 私の親友、バルの仕事はトレッキングガイドです。ちゃんと試験を受け、国認定のライセンス証を持っています。しかし、10年に及んだ内戦(人によっては“一揆のようなもの”と呼んでいました)のため外国からの観光客は激減して、現在内戦が起きる前の半分くらいに落ち込んでしまっていると多くの国民が嘆いています。

 しかし、その内戦も2年前にマオイスト(毛沢東主義派)が武器を棄て、政党政治に戻り何とか終結しました。そして、今年4月に憲政議会選挙(9年ぶりとなった国政選挙)が行われました。その結果、既成政党を破り(これまでの二大政党はネパール会議派NCと統一共産党UML)、マオイストが第一党となり政権を握りました。 このことは日本のマスメディアでも(と言っても新聞だけでしょうが)報道されていたのでご存知の方も多いかと思います。選挙監視委員として日本からも参加していました。

 そして、初の憲政議会は5月28日に召集され、王政廃止、共和国宣言がなされました。それを受け、国王家族が6月11日、王宮から出て行き、現在はカトマンズ市郊外の私邸に"蟄居"しています。しかし、不動産、たばこ会社、ホテル経営等々保有財産はメガトン級です。その後の出来事として王子のパーレスがシンガポールに渡り、子供の学校を探していたとか・・・。そのパワーは今現在も残されています。 憲政議会では7月21日、大統領にネパール会議派のラム・バラン・ヤダムが選出され、続いて8月15日に政治的実権を握る首相にマオイストのリーダー、プラチャンダ(本名・ブスパ・カマル・ダハル)が選出されました。何れにしろヒマラヤの国は動いています。

 さて話をバルのトレッキングガイドに戻したいと思います。以下はバルがポーターと共に今年の4月から5月にかけて中国系米国人4人をアンナプルナにあるジョムスンに案内した時の話です。メンバーは全員女性で30代が二人、うち一人は5年ほど前、バルがサガルマータ(エベレスト)方面を案内したことがあるそうです。そして、その女性のお母さん(60代)と叔母さん(50代)でした。 何しろ4人のうち3人は生まれて初めてのヒマラヤでした。 最初のうちはみんな元気でよかったのですが、トレッキングに入ってから5日目、60代のお母さんが突然、足を踏み外して10メートルくらい転落してしまいました。バルは急いでその場所に駆け下り、お母さんを助けましたが、体中が傷だらけととなっていて応急処置を施しました。しかし、これも不幸中の幸いと言っていいのか、お母さんがもっと転落していたら川に落っこちていたそうです。お母さんはこれも普段の信心のおかげだと話していたそうです。 その後は歩くのもさらにゆっくりにして、休憩時間も多くとり、皆でお母さんを気遣いました。特にバルは再度事故が起こらないように神経を使っていたそうです。しかし、コースによっては山小屋に到着する時刻が夕方5時すぎになったり、吹雪混じりの強風に直面したこともあったそうです。 バルにとってはこれまでで最もハードなガイドだったよと、溜め息混じりのEメールをよこしました。

 なおバルからの情報によると、外国の人たちはヒマラヤというと、サガルマータ(エベレスト)しか思い浮かべない人が多いようですが、他にもランタン、アンナプルナ等すばらしいところがいくつもありますから、どうぞ一度訪ねて来て下さい、とのことです。勿論私が案内致しますよ、と話しています。


 ・写真は2枚ともアンナプルナのティリチョ湖付近です

http://www.treknepal.tk/
 (バルのサイトです。どうぞ興味がある方はご覧になって下さい)