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カトマンズからの便り

 ネパールからの声
                 文と写真: ビビ・フンヤル

 12月4日ヒマラヤ山脈のカラパタル(標高 5,262m)で地球温暖化防止に関するネパール閣僚会議が行われた。この世界最高峰の山脈地帯でも年々降雪量が減ってきている。無論、地球規模での温暖化のせいである。
(訳者注:元々雪崩や土砂崩れが多い地帯である。ビビの実家―ジリ近郊の山岳地帯―でも5年前に豪雨のため土砂崩れが起こり、家屋がすべて流されてしまった。一人暮らしをしていた母親はたまたま兄弟の家に出かけていたので災難から逃れた。が、山羊や水牛等家畜動物がすべて土砂の中に埋もれてしまった)

 また温暖化の影響は永久凍河(湖)をも溶けさせている。水が溢れ出し洪水となり下部にある村全体を流してしまう。危機的状況である。したがって各国のNGOが洪水になる前に溶け始めた水を汲み出す作業を行っている。
 現在の首相M・K・ネパールも先ほどデンマークで行われたCOP15に出席していた。しかし、残念ながら声明は日本を含め世界には届いていない。

 さて一向に混沌とした状況から抜け出せないでいるネパール政局である。
 前回お伝えしたように半年前、政治的かけひきから一年余りで政権から退陣したマオイスト派であるが、その後、国会内外で党員と支持者たちは現在の連合政権は人為的に無理やり作り上げられた不当なものだと主張し抗議活動を続けている
 そして、昨年の12月20日から3日間大規模な全国的な抗議デモを行った。

                  デモ参加者


                 演説するプラチャンダ

 その一方でトップリーダー同士が―ネパール(現首相、統一共産党リーダー)、コイララ(ネパール会議派リーダー85歳)、プラチャンダ(マオイスト派代表)―が正常化するための会合も行われている。
 また一方で、制憲議会選挙から2年経過したが新憲法の案(起草)は出るもののまだ何一つ制定されていない。
 このように政治的デッドロック(行き詰まり状態)は依然として続いている。
 各政党は党利党略を捨てて一致団結して新ネパールをつくるために協力しなければ国として存亡の危機に陥ることになり兼ねない。

 ―近年の動き―
 1990年  :民主化、政党政治が復活
 1996年  :マオイスト派が武装闘争を始める
 2001年  :王宮内で射殺事件が起きる。ビレンドラ国王を含む9人が死亡
 2005年  :ギャネンドラ国王が議院内閣制を潰し直接統治する
 2006年 4月:直接統治に対する抗議デモが全国的に広まり、再び政治権限を国民に戻す
     11月:マオイスト派と政府が和平協定に調印、内戦が終結する
 2007年 1月:暫定法が成立
     12月:暫定議会で王政廃止、民主制移行を採択する
 2008年 2月:南部のインド系住民「マデシ」が政府と自治権で合意
      4月:制憲議会選挙を実施
      8月:第一党に選ばれたマオイスト派が政権につく
 2009年 5月:マオイスト派と国軍が意見衝突、その結果マオイスト派が下野する

(今回はネパールの友人ビビからの英文情報を基に、東京在住のネパール人の話を補足してまとめたものです: 志鎌)