区議会報告 No.42

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主な陳情・請願の審査結果より 3/23

◎「中野区議会本会議場に国旗の掲揚を求める」請願

賛成多数で採択となりました。
むとうは反対しました


 1999年、国旗・国歌法制定当時も現在も「日の丸」は、敗戦前に「統治権の総攬者」とされた天皇の下に「臣民」を統合する道具立ての一つとして作りだされ、植民地支配や侵略戦争においても重要な役割を果たしてきた歴史を消すことはできません。そのため今日でも、誰もが納得して受け入れられる象徴ではなく、賛否が二分される政治的問題性をはらんだ象徴として存在し続けています。だからこそ「議場に国旗を掲げることに反対する」請願も今議会に提出されました。中央政府に対する抑制と均衡を図り、住民による民主主義を補強する地方自治の本旨に照らし、様々な民意の反映の場である議場に一方的な価値観を強制し「思想・良心の自由」が脅かされることがあってはならないと考え、むとうは反対しました。

 なお「議場に国旗を掲げることに反対する」請願にむとうは賛成しました


 討論全文
 第1号請願「中野区議会の本会議場に国旗の掲揚を求める件」に反対の立場から、また第2号請願「中野区議会本会議場に国旗をかかげることに反対する請願」、及び第3号請願「中野区議会の本会議場での国旗掲揚に関する請願」に賛成の立場から討論を行ないます。

 国旗及び国歌に関する法律は、1999年8月13日に公布、施行されましたが、その立法過程において、政府関係者は、次のような見解を述べています。6月29日開催の衆議院本会議においては、国旗・国歌法案について、文部大臣は、「今回の法案は、国旗・国歌の根拠について、慣習であるものを成文法として、より明確に位置づけるものである。」と述べ、また内閣総理大臣は、「政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずること、とはならないと考えている。」と述べています。さらに文部大臣は、8月2日開催の参議院国旗及び国歌に関する特別委員会において、「本法案によって国旗・国歌の指導にかかわる教員の職務上の責務について変更を加えるものではございません。」と述べています。また内閣官房長官は、7月21日開催の第145回国会の内閣委員会文教委員会連合審査会において、国旗・国歌法制定について、「それぞれ、人によって、式典等においてこれを、起立する自由もあれば、また起立しない自由もあろうかと思うわけでございますし、また、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして、この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません。」と述べています。これらの政府答弁を皆さん、お忘れになっているのではないでしょうか。つまり、特定のシンボル・形象に対する尊敬を国民に強制することが、明らかに憲法19条「思想及び良心の自由」に抵触するため、国旗・国歌に対する「尊重規定」を明文化することができず、「国旗は、日章旗とする」「国歌は、君が代とする」との規定のみが法制化されたものと思われます。

 制定当時も今現在も「日の丸」は、敗戦前に「統治権の総攬者」とされた天皇の下に「臣民」を統合する道具立ての一つとして作りだされ、植民地支配や侵略戦争においても重要な役割をはたしてきたという歴史を消すことはできませんし、そのことを経験した人々の記憶を消すこともできません。私自身も、敗戦前に日の丸が果たしていた役割について、許し難い感情を今もって抱いております。そのため今日でも、誰もが納得し受け入れられる象徴ではなく、賛成派と反対派が大きく分裂せざるをえない、極めて政治的問題性をはらんだ象徴として存在し続けています。だからこそ、中野区議会においても相反する請願が提出されたのではないでしょうか。

 また、制定過程をお忘れになったと思われる東京都知事や東京都教育委員会による、日の丸・君が代の強制を徹底するいわゆる2003年10月23日通達以後、400人を超える教師が処分され、裁判に及んでいます。誰もが日の丸を納得し、受け入れられる象徴ではないと言うことをこれらのことは物語っているのではないでしょうか。第2号請願の理由の中に書かれていますが、2006年9月21日、東京地裁において、「君が代」予防訴訟に対する判決が言い渡されました。この裁判は、都立高校の教職員が、卒業式などの行事において、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務がないことの確認等を求めた裁判です。判決では、我が国において、日の丸・君が代は、明治時代以降、第二次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実であり、国旗・国歌法により、日の丸・君が代が国旗・国歌と規定された現在においても,なお国民の間で宗教的、政治的にみて日の丸・君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが指摘されました。それゆえ、卒業式等で国旗掲揚・国歌斉唱に反対するものも少なからずおり、このような世界観・主義・主張を持つ者の思想・良心の自由も、公共の福祉に反しない限り、憲法上保護にあたいするとして、教職員に対し、国歌斉唱すること等を義務付けることは、思想良心の自由の制約になると断言されました。最後に裁判所は、いわゆる“愛国心”のかん養などのために、式典において国歌斉唱等を行なうことは有意義だとしつつも、強制してまで斉唱させることは、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置であると述べ、本件通達及びこれに基づく各校長の原告ら教職員に対する職務命令は違法であるとして、判決言い渡しを終えました。つまり、日の丸・君が代についての個人の考え方を、憲法19条で保障される「思想・良心」のはんちゅうに入るものと認めた画期的な判決であるといえます。

 このような判例と相反する請願内容を踏まえれば、中野区においても、日の丸が価値中立的なものと認められるまでには至っていないと、言えます。また、国旗・国歌法を制定する際に、国家として過去の侵略戦争について、検証と謝罪をおこなっていれば、現在の国民を2分するような状況を多少なりとも清算できていたかもしれません。しかし、残念ながらそれは行われず、朝鮮や韓国民族のルーツをお持ちの方にとっては、植民地支配のシンボルであった日の丸への憎悪を消し去ることはできていません。また、日の丸を過去の侵略戦争のシンボルととらえ、二度と戦争を繰り返してはならないとする反戦思想のもとに日の丸に嫌悪感を抱く区民の方も多数いらっしゃいます。さらに、信仰者として日の丸・君が代を受容しがたい方々もいらっしゃいます。このように誰もが納得し受け入れられる象徴にはなっていない日の丸を本会議場に掲揚すべきではないと考えます。様々な民意の反映のために、様々な意見を述べ合う議場に、一方的な価値観の強制は、地方自治の本旨を脅かすものであると言わざるを得ません。請願だけではなくて、議場に国旗掲揚をしないよう求める要望書も議長宛に届けられていると伺います。このように区民の合意が得られない中で、また、区役所にはすでに国旗が掲揚されている中で、さらに、そのことに賛成できない区民や、中野区議会における少数議員の思想良心の自由を侵害してまで、本会議場に日の丸を掲揚する必要性がどこにあるのでしょうか。中央政府に対する抑制と均衡を図り、住民による民主主義を補強する地方自治の本旨からいえば、国旗ではなく、中野区旗をまず先に掲揚すべきではないでしょうか。議場への日の丸掲揚は、多様な考え方の有権者の付託を受けた議員が集い、また市民が傍聴する場に、一定の価値観を持ち込むことになります。また仮に、国旗の掲揚のみでは個人の思想良心の自由に対する明確な侵害とは言えないとしても、国旗に対して一定の行為を強制ないしは事実上強要する場合には、国民に一定の行為を強制するものとして、その行為自体が思想良心の自由を侵害するものと考えられます。中野区議会本会議場においては、議員が登壇の際に、議長に敬意をはらい、一礼をすることが慣例となっています。そこに日の丸がかかげられることになれば、日の丸に対する一礼を事実上強要されることになり、まさに、思想・良心の自由が脅かされることになります。よって、本会議場に国旗を掲揚することに反対いたします。先日、私が出席したある大學の卒業式で、学長が「価値観と文化を強制しないことが、平和な世界を創り出すことである」と語られた言葉が新鮮に心にしみています。

 以上るる述べさせていただきましたが、ここにおられる議員の方々の心に届くことを願って、第1号請願に対する反対討論、また第2号請願及び第3号請願に対する賛成討論といたします。

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