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カトマンズからの便り

 五月初旬、ネパールでまた"政変"が起きた

 小国の悲劇か何かが起こらないとマスコミは報道してくれない。しかし、何かが起こってからでは手遅れになることがしばしばある。 (昨年、北京オリンピック前に, ヒマラヤ山脈を挟んでネパールの北隣のチベットを支援する人道主義者が世界中で急増したけれど、今はどうなっているのか・・?状況は何も変わっていないのに)

 昨年、4月の憲政議会選挙で第一党になり政権をもぎとったマオイスト(毛沢東主義者)派のプラチャンダ首相が国軍トップにあたるカタワル陸軍参謀長の解任を決めた。しかし、連立を組む各与党がそれに反発し、逆にプラチャンダが翌日、首相職を辞任した。(本名はダハルであるが人々は通常プラチャンダと呼んでいる) 一言で云うと、積年の恨み、反発の故か・・・両者は10年間に及ぶ内戦状態を繰り返していた。 このことはネパール国内では以前から懸念されていた。フリーカメラマン兼トレッキングガイドをしているビビ・フンヤルは半年ほど前、私のところに「一つの国で二つの軍隊」と題して、この問題が解決されない限り政情は安定せず、真の平和は訪れないだろう、とEメールで報告してきた。元来、保守国軍派の者たちはマオイスト兵の国軍統合に強く拒否反応を示し、改革派の者たちは統合に賛成していた。

 ついこの間まで、4週間パタン市(首都カトマンズの南隣)に里帰りをしていたケーシー(沼袋でネパールレストランを営業)によると、政変が起きた割には街の中は穏やかだった。プラチャンダが首相辞任後、放送局がプラチャンダが"デマ演説"をしている過去の映像を流し、それを国民は冷ややかに見ていた、と話してくれた。

 そして、5月23日、新内閣が発表された。マオイスト派は下野し、統一共産党の前党首であったM・K・ネパールが首相になり(22党の合意による)連立内閣が組まれた。 が、何とも将来を予測できないネパールの政情である・・・。
 (ちなみに昨年その座を追われた国王一家であるが、元王宮は現在博物館になっている。が、カトマンズ市内の北側に別宅を構え、複数の企業を経営している。元々は国民の税金によって設立されたものである。 また元王子夫婦は別居中で現在元王子はシンガポールにいて、元王子妃は三人の子供とともにパリに滞在した後、現在はネパールに戻って来ている)




 ・ 写真はいずれも、カトマンズ市内でデモンストレーションをしているマオイスト派支持者 (撮影・ビビ)