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カトマンズからの便り

       ―カトマンズ盆地は世界文化遺産都市―

 カトマンズにはカトマンズの人口以上に神々が住んでいると言われている。祭りや記念式典が毎日のようにどこかで行われている。街を歩くと路上の行商、マリーゴールドを売る者、修行僧、リクシャー(自転車馬車)、オートバイ、そして、神と同等の牛が徘徊しているのをよく目にする。

 「カトマンズはマジュシュリ菩薩によって発見された」と、ライターで仏教評論家のバサンタ・マハジャンが私にそう話してくれた。さらに続けて「ここカトマンズがこの地域の要所・ポイント、南から北へ(インドからチベット、中国)、東から西へ(ブータンからカシミール)の交易、交流、その交差路がここカトマンズだよ。山(ヒマラヤ)に向かう前にここでロープだって入手できるだろう」と説明する。そして、そのカトマンズ市内の中心地が数千年の間、ダルバール広場だとも付け加える。

 神々が私と共に暮らしているとマハジャンは続ける。すべての寺院はniyama教義の戒律に従う貧しい人々によって建立された。彼らは神々がどこに住みたいのかを知っている。私たちは維持保存に賢明だ。だが昨今は事情が少し変わってきた。山に囲まれ“地球の谷底だったカトマンズ”は神秘的な地として崇拝されてきた。「曼荼羅」はあの世とこの世を結ぶ教えの入り口だ・・・。マハジャンの話は止むことがなかった。

 カトマンズの南に位置するパタンは別な意味でネパールの首都である。街の雰囲気がカトマンズとはちがう。大都市における恐怖感のようなものがなく落ち着いたリズム感が漂っている。昔の名はラリトピュアで愛しい芸術の街である。
 パタンの中心地のダルバール広場から少し路地を入ったところにラブリンシンがある。小規模な金属加工の鍛冶屋が何軒もある。研磨機が大きな音を立てハンマーが銅を叩いている。この街ではクブラ・カーンによって見出された技術で金や銅の仏像が多くつくられている。今日では日本、台湾、韓国、米国、それにチベットの寺院からも仕事の依頼を受けている。銅製の仏像がショーウインドーに飾られ旅行者の目を惹きつけ、またネパール人のコレクターをも増やしている。
 職人は大事な役を担い、パタンのダルバール広場周辺の寺院の修復を20年以上かけて続けている。工事修復であるがそれは壮大なショーのような華やかさを感じさせている。

 そして、もう一つの都が信仰の街バクタプルである。カトマンズから東へ12kmほどに位置しているが、今でも時がゆっくり流れている。豊かな染料を使ったカーテン、木製の少し揺れるバルコニー、整然と並べられたトウモロコシの束・・・すべてが時代の移り変わりとは関係なく流れているように感じる。
 街の中には国宝級の寺院や建造物が数多く残り観光客の目を楽しませている。午後の陽光を浴びた街の入口にある金門は英国からの訪問者バシー・ブラウンによるとネパールの王宮建築のうち最高のアートだと記述されている。
 (日本の古都、奈良のような雰囲気がある落ち着いた街です。ただし外国人旅行者は街に入る時、観光税を払う必要がある。訳者・注)

 中世の長い時期、この国を支配していたのはマッラ王朝であった。特に15世紀にはそれぞれカトマンズ、パタン、バクタプルで権勢を奮い、三人の国王は虎の子のように論争し合い競争しながら宗教における芸術品をつくりあげて行った。

 そして、近年に入るとネパールは地震の少ない国だが1934年に大地震が起こり多くのものを失った。その影響を受け、王室、政党、宗教界、旧家、それらの多くが保存修復に向かわなければならなくなった。熟練された職人だけでなく商人も農民もあらゆる人たちが文化財の保存を心がけなくてはならなくなった。

 これらのことを経験してカトマンズ盆地は1979年にユネスコにより世界文化遺産に認定された。が、カトマンズの大気汚染の深刻さや景観を損なう無計画なビルの建造等により認定を解除される話まで出たことがあるが、今日でも世界遺産に登録されている。

 日本の皆さんに私のレポートを通じて少しでもカトマンズ盆地のよさを知っていただければネパール人として嬉しく思います。











     文と写真:ビビ・フンヤル 訳:志鎌 誠