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―『大震災その後 in ネパール』―
私の国ネパールで夜が明ける頃、アフガニスタンではまだ夜中の静寂に包まれている。若者たちは仕事を求め首都のカブールまで行き、大使館の警護に就いていた。しかし、その送迎用のバスが突然爆発された。今年の6月20日早朝のことだった。14人が死亡7人が重傷を負った。彼らは英国の派遣会社サブレ・インターナショナルと契約をしてカブールのカナダ大使館の警備をしていた。カブールは世界で最も危険な場所の一つに数えられているところだ。
彼らは月800米ドルから1500米ドルの給与を受け取っていた。しかし、賠償請求の方法については知っていなかった。この悲劇的な事件についてカナダの首相ジャスティン・ドラデュはツイートした。「信じられない卑劣な出来事だ。我々はアフガニスタンの人たちと一緒に犠牲者の方々に寄り添っている」とコメントしている。
現在カブールにある各国の大使館に148人のネパール人が警備に就いている。また1000人以上のネパール人がアフガニスタンで働いていると見られている。「海外で働くことが危険なこととは分かっている。しかし、若い世代は金を稼ぐために生活のために必死になっている」このように話すのは5年間カブールで働き、昨年4月ネパールで大地震が起きた時に戻ってきたラグマン・タパだ。さらに「ネパール国内には仕事がない。ネパールの政治家は何をやっているのか?いつでも失望している」と、苛立ちを隠さない。
特に山岳地帯では復興が遅れている。家も学校も寺院も再建されていない。大地震は私たちに大きな困難をもたらした。3000人以上の子供たちが孤児になり家も失った。心身をむしばみ今でもトラウマになっている。
筆者ビビ・フンヤルも仲間7人と一緒に非営利組織のNGOグループ、『FUTURE・CITIZEN・NEPAL』という孤児施設を立ち上げている。ジリ(筆者の故郷。カトマンズから東へ190kmほど行った山間部)で7人、カトマンズで18人の子供たちと生活している。ほとんどが去年の大地震のため親を失ってしまった子供たちである。貧困のため学校にも行けなかったが私たちの働きで今何とか学校に通っている。
しかし運営は厳しい状況が続いています。できることなら日本の皆さまにも寄付をお願いしたいのですが、区議会議員であるむとう様のHP上には日本の法律上口座番号等のお知らせはできない、ということなので控えさせていただきます。
なお今後とも『ネパールリポート』の応援をよろしくお願い致します。
文と写真:ビビ・フンヤル 訳:志鎌 誠
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