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カトマンズからの便り

カトマンズ庶民の生活

日本の長期不況も深刻であるが,ネパールの"戦時不況"も並大抵なものではない。大幅な観光客減のため,ホテルやレストランは閉鎖,従業員は解雇され,回り回って土産物となる工芸品をつくっている職人の生活にも苦境を強いている。通常ネパールは女性の方が働き者である。私の友人バルが昼間ブラブラしている時(いや,観光客を探している時),女房のプリーミマは露店でバナナを売っている。大きな籠を背中に提げ,太目の紐の真ん中を自分のおでこに当てて,毎日仕事に出かけている。また家事もほとんど女性がこなしている。そのせいかどうかはわからないがネパールでは,日本と逆で女性の平均寿命の方が男性より短い。

家は四畳半ほどの広さのアパートを借りている。そこに夫婦,子供一人とバルのお母さんで暮らしている。時々,地方からプリーミマの弟がカトマンズの病院に通うため来ることがある。その時は五人が一部屋で寝泊りすることになる。今の日本ではあまり見られない"すさまじい情況"である。

実は4年前,バルの申し出により,3万円を貸したことがある。それを元手に小さな店を出したい。外国人観光客を相手に高級ネパール茶を売る算段だった。そして,畳二畳分くらいの小さな場所を借りてオープンした。しかし,その直後,米国で9・11が起こり,その1ヶ月後にはアフガニスタンに対する空爆が始まってしまった。ネパールはアフガニスタンのとなりの国でもないのに観光客はさらに遠のいてしまった。(皆さんも記憶しておられると思いますが,世界的に旅行することが敬遠されてしまった)3ヵ月後,バルからEメールで「観光客が来ない・・このままでは店はやっていけない・・・」と言う連絡が届いた。私は「当分,旅行客は増えないだろうから,地元の人たちが利用できる商売に変えてみてはどうか」と,提案した。それで,場所を代えてチャー(ネパール風ミルクティー)や軽食を出す店を始めた。しかし,それも軌道に乗らず,結局2ヵ月後に閉店してしまった。バルは再びフリーのツアーガイドに戻り,年に1回か2回サガルマータ(エベレスト)方面やアンナプルナに登山客を案内している。プリーミマも露店でのバナナ売りに戻っている。そして,一人息子の授業料を工面するのにも困っている。

* マオイストが9月に"3ヶ月間の停戦"を宣言,施行。その後,「戦闘は減ったものの誘拐,拉致が増えている」と人権委員会が発表している。

ネパールレポーター
志鎌 誠
連絡先
Tel & Fax:03-3386-6053
Eメール: sikamac@yahoo.co.jp