区議会報告 No.21

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可決された主な議案より

中野区安全で安心なまちづくりを推進する条例 3/25

むとうは反対しました

 この条例を文字づらで追えば反対する理由などないと、思われる方が多いのではないでしょうか。しかしながら条例を制定する背景をしかと認識しなければなりません。
 1994年に警察法が改正されて、警察庁に生活安全局が設置され、「地域浸透戦略」への転換が図られました。これにより1997年を皮切りに全国の市区町村、都道府県で「生活安全条例」の制定が始まりました。制定を推進しているのは警察庁と防犯協会です。
 名称こそ様々ですが、「防犯活動」を警察だけでなく、行政と地域住民・事業者全体の責務とし、地域住民に「生活安全」のための自主的組織の結成を奨励し、警察、行政、住民等を含めた防犯推進体制を構築しようとする点において全て共通しています。
 したがって警察の介入と市民の相互監視を強化することで治安強化を図ろうというのが「生活安全条例」の本質と言えます。
 昨今の破防法適用の動き、少年法の厳罰化、盗聴法・組織犯罪対策立法の制定、住基ネットの稼働、各地での隠しカメラの設置、そして国民保護法制による民間防衛組織づくりなどを鑑みれば、それぞれがリンクしあい、国家統制の強化が背後に見え隠れしています。ひとたび、武力攻撃事態法が発動されれば、条例の防犯協力義務と有事法制の協力義務により地域ぐるみの臨戦態勢が組み上げられ、かつての国家総動員法となんら変わらぬ国民生活を全面的に統制できる巨大な権利が政府の手中に握られることになります。
 2001年9月11日以降、私たちは武力が平和な世界の構築にいかに無力かを目の当たりにしてきました。それと同じく、監視と排除の論理で真の安心で安全なまちづくりができるとは思えません。対置すべきは、共に手を取り合って生きようという共生への指向であると私は信じて疑いません。
 以上の理由によってむとうは反対しました。

「中野区安全で安心なまちづくりを推進する条例」に対する反対討論全文
 ただ今上程されました第15号議案「中野区安全で安心なまちづくりを推進する条例」について反対の立場から討論いたします。
 中野区はこの条例を制定するにあたり、15の地域センターで特定の団体には説明をされたとのことですが、団体に属さないほとんどの区民は12月21日号の区報によるパブリックコメントを求める記事により知ることになりました。この区報によりこの条例制定を知った区民が「この条例を制定しないで下さい」という陳情を3月9日に議会に提出されました。12月21日号の区報で公にされ、その直後の議会が今定例会です。よって「中野区安全で安心なまちづくりを推進する条例」と本条例を制定しないで下さいという陳情が今定例会で同時に審議することになってしまいました。総務委員会では条例が先に議決されてしまったため、陳情はみなす不採択となり、新規付託陳情であったにも係らず、書記の朗読もなく、陳情された区民の意見にも耳を傾けることなく条例が議決されてしまったことに、私は釈然としない思いが残っています。
 さて、1994年に警察法が改正され、警察庁に生活安全局が設置されました。これを契機に「検挙から予防」「公安から治安」へのシフト変更、「地域浸透戦略」への転換が図られ、1997年をかわきりに全国の区市町村、都道府県で「生活安全条例」の制定が始まりました。制定を推進しているのは警察庁と防犯協会です。2003年6月時点で、1350自治体で制定されています。
 名称こそ様々ですが「防犯活動」を警察だけでなく、行政と地域住民・事業者全体の責務とし、地域住民に「生活安全」のための自主的組織の結成を奨励し、警察、行政、住民等を含めた防犯推進体制を構築しようとする点において全て共通しています。
 法学者によれば、さらに、禁止事項の定義が定かでなかったり、「等」いわゆる「など」の濫用により、憲法・刑事法の明確性の原則に反すると言える条例がほとんどのようです。
 条例を作らねばならない状況、つまり立法事実として挙げられている犯罪の増加。それに伴う検挙率の低下。さらに、これによる体感治安の悪化については、予算の総括質疑の中でも指摘しましたように、警察の施策によって検挙率も認知件数も上下し、殺人に関する報道件数の上昇に伴い、現実の犯罪発生に関係なく、ちまたでは犯罪が増加し、治安が悪化しているという言説が既定の事実として信じられ、犯罪不安が急速に高まっているような心理現象、いわゆるモラルパニックが起きているといえます。
 百歩ゆずって、治安の悪化が生じているとすれば、その背景にある構造改革路線などの新自由主義路線の下での富める者と貧しき者との階層分化と職に就けないという社会不安の拡大という根本問題にまずはメスを入れる必要があるでしょう。
 今、日本がモデルとしているのは、1980年代にレーガン・サッチャー政権の下で新自由主義路線に突入し、それに伴う治安の悪化に治安の強化で対抗してきたアメリカ・イギリスです。特にこの間、警察サイドは警察学論集などを通じて、地域で自治体や住民と一体となって警察が防犯活動をする「コミュニティー・ポリシング」や軽微な迷惑行為を重大犯罪と同様に取り締まる「ゼロ・トレランス」、道路・公園・駐車場・公衆トイレ・共同住宅における見通しの確保と防犯カメラ等、防犯設備の整備を行なう「環境設計による犯罪予防」などアメリカの理論を研究・紹介し、そして導入してきました。また、既に約250万台の監視カメラ社会となっているイギリスの例も紹介しています。
 したがって日本でも警察の介入と市民の相互監視を強化することで治安強化を図ろうというのが「生活安全条例」の本質であると言えましょう。あなたの安全を守りますというやさしげな謳い文句で、憲法が保障するプライバシー権や表現の自由や結社の自由を縮減する方向に働くこの条例は、憲法上見過ごすことのできない問題を抱えています。
 ここで、自由法曹団東京支部発行の「監視社会に耐えられますか」という冊子から、笑えない笑い話を紹介いたします。タイトルは「パトロール班長の町会長Bさんの場合」となっています。
 「下町の町会長のBさんは、かつて区議会議員も務めた地元の名士。3代続いた洋品店の店主でもある。江戸の情緒を残す自分たちのまちを誇りにも思い、あれこれの世話役活動にも積極的に務めてきた。Bさんのまちでも新築のマンションに住む新住民が増え、外国人も増えてきたが、別に気にしてはいなかった。新住民も外国人も洋品店のいいお客さんだったし、近所で凶悪犯罪が発生することもなかったからである。
 そのBさんのところに防犯協会から「防犯パトロール隊をつくるから班長になってほしい」との依頼が持ち込まれた。「条例ができて民間パトロールをやることになった。警察と防犯協会が中心になって安全推進協議会をつくって実行する。人望のあるBさんにぜひ班長をやってほしい」というわけである。「どうして平和なこのまちで防犯パトロールが必要なんだ」と聞いたBさんに、「『火の用心』みたいなものですよ。備えあれば憂い無しと言うでしょ」と防犯協会の役員。まちを愛することでは人後に落ちないBさんは引き受けるしかなかった。
 隊員が警察署に集められ、生活安全課の署員からパトロールの要領をたたき込まれた。「不審人物と思ったらどのように声をかけるか」「声をかけられて逃げ出したらどうするか」等々。「これじゃ自警団か交番の巡査の教育じゃないか。『火の用心』とは全く違う」と思ったBさんだが、いまさら「やめた」というわけにはいかなかった。
 Bさんたちのパトロールが始まった。「深夜に裏通りを中心に巡回」というコースだったから、暗がりを探すようにして歩いていく。パトロールだと思うと、いつもは気にも留めない通行人の挙動がやたら気になる。千鳥足で歩いている酔っ払いもいれば、周りをキョロキョロ見回している若者もいる。「まあ、なんてことはないだろう。俺達だって千鳥足のときはあるし」とBさん。Bさんのおうような性格もあって、パトロール報告には「特に異常なし」の記載が続いた。
 この報告が警察署での反省会で問題となった。「おかしいじゃないですか。他の班は不審者を発見して住所や氏名を確認している。泥酔者を保護して自宅まで送り届けた班もある。どうしてこの班がやると『なにもなし』なのですか。住宅侵入窃盗事件や泥酔者の暴行事件が起こったら、どうしますか」署員の言葉は丁寧だったが高圧的だった。
 「どうしても不審な人を見つけるしかない。発見して住所や氏名を確認しておけば文句は言われない。千鳥足がいたらとにかく家まで送ってやろう」これがBさんの班の新たな意思確認だった。
 それからが大変だった。なにせBさんはまちの名士。不審者かと思って近づいたら「Bさんじゃないですか。ご苦労さま」、千鳥足に声をかけたら「Bさん、一杯やりませんか」これでは報告に載せるわけにはいかない。「これじゃ終われないじゃないですか」という隊員をなんとかなだめて「どこかで不審者が見つかるまで続けよう」とパトロールは明け方まで続いた。Bさんの心の中には「見つからないことはいいことじゃないか。なんでわざわざ『不審者探し』をする必要がある」という憤懣が渦巻いていた。
 「朝帰り」が続いたBさんと妻子の関係がおかしくなった。「商売そっちのけでなにをやっている。いつから警察の手先になった」という息子の非難だった。「俺の気持ちがわかるか」と怒鳴りつけたBさんは、行きつけの小料理屋でしたたかに飲んだ。気がついたときは夜更け。
 「看板です」の言葉で店を出て、「あの野郎」とか不穏な言葉を吐きながら路地裏歩いていたら、突然後ろから両腕をつかまれた。「なんだ。なにをする。おれをだれだと思っているんだ」と怒鳴りながら振りほどいたら、立っていたのは見知らぬ新住民の3人組。「防犯パトロール隊だ。警察まで行こう。もし俺達が警官だったら公務執行妨害だ」
 「摘発率最高」として警察署の反省会で表彰されたのが、この3人組だった。」以上ですが、異常です。これが市民の分断です。なおかつ、もしパトロール隊員が暴漢に負傷を負わせられたり、万が一命を落としても何の補償もないのです。こんな条例が区民を本当に幸せにするとは到底思えません。
 とは言え、安全で安心なまちづくりという言葉に異議を唱える人など存在しないでしょう。しかし、昨今の破防法適用の動き、少年法の厳罰化、盗聴法・組織犯罪対策立法の制定、住基ネットの稼働、各地での隠しカメラの設置、そして国民保護法制における民間防衛組織づくりなどを理性的に鑑みれば、それぞれがリンクしあい、この国が行こうとしている方向がはっきりと見えてきます。この条例の背後にあるものもそれです。すなわち国家統制の強化であり、生活安全条例もその一環に過ぎないことは論を待ちません。
 さらに、条例の防犯協力義務と有事法制の協力義務との関係において、武力攻撃事態法が発動されれば、地域ぐるみの臨戦態勢が組み上げられ、町会・自治会を根こそぎ動員できるシステムが構築されるでしょう。そうなれば、かつての国家総動員法となんら変わらず、国民生活を全面的に統制できる巨大な権利が政府の手中に握られることになり、それはとりもなおさず、民主主義の死を意味します。
 加えて、2001年9月11日以降、私たちは武力あるいは暴力が平和な世界の構築にいかに無力であるかを目の当たりにしてきました。同様に、監視と排除で真の安心で安全なまちづくりができるのでしょうか。大いに疑問です。対置すべきは、共に手を取り合って生きようという共生への指向が平和な世界とまちをつくりあげると私は信じて疑いません。
 よって今申し上げましたように、立法事実が希薄なこと、相互監視社会を招くこと、憲法上看過できない問題を抱えていること、そして国家統制の強化につながり民主主義を後退させること、以上の理由によって第15号議案「中野区安全で安心なまちづくりを推進する条例」に反対であることを表明し、討論を終了いたします。 


宮園保育園の指定管理者に社会福祉法人高峰服司会を,宮の台保育園の指定管理者にコンビチャチャ株式会社を指定する議案 2/23

むとうは反対しました

 昨年、2003年12月の第4回定例会で、区立保育園の管理運営を株式会社を 含めた民間事業者に委託するための条例が、むとうは反対しましたが可決され、 保育園に指定管理者制度を導入することが当該園の保護者や多くの区民の反対を 押し切って決まりました。その後も「充分な情報提供と説明責任」を求め、「事 業者選択と引継ぎが保護者や住民の納得と安心の下に行われるよう、実施の延 期」を求める陳情が議会に提出されていたにも関わらず、区民の声に耳を傾ける ことなく、向こう10年間の指定業者を決定することに、むとうは反対しました。

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