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むとう有子をとりまくうるさい人たちの声


No.89
区政に真の対話を
          阿古 智子

 私は「平和の門を考える会」を通して有子さんと知り合いました。この会は、大正4(1915)年に建てられた旧中野刑務所(豊多摩監獄)正門の保存・活用のために活動しています。正門は現在、旧法務省矯正管区敷地内に残っていますが、今年度中にも中野区が用地を取得し、平和の森小学校が移転することになっています。

 我が息子は現在、平和の森小学校の4年生で、私は彼が2年生の時に参加したPTAの会合で、門の存在を初めて知りました。
 区の担当部署と新校舎建設の折衝をしておられる方が「門は危険な建築物であり、早く新校舎を建てるためにも壊すよう要望する」とおっしゃったのですが、門についてPTAで議論したことは今までなかったのです。
 私はその後、門の歴史や特徴を学ぶ会を学校で開きたいとお願いしましたが、聞き入れられませんでした。

 戦前・戦中、プロレタリア文学者の小林多喜二、文芸評論家の亀井勝一郎、無政府主義者の大杉栄、宗教家の戸田城聖ら、多くの政治犯や思想犯が収容され、哲学者の三木清はここで獄死しました。
 戦後はGHQ(連合軍最高司令官総司令部)が接収し、米陸軍刑務所として使用しました。接収解除後は、中野刑務所として使用されていましたが、移転を望む住民の声が高まる中で1983年に閉鎖されました。

 レンガ造りの中野刑務所の正門は大正モダニズム建築の傑作とされ、「若き天才」と称された建築家の後藤慶二が設計した建物として現存する唯一のものだと言います。

 歴史や建築の価値を知らずして、正門をどうするかを議論できません。市民に存在を知られていないのであれば、知ってもらう努力が必要です。
 知ること、考えること、そして議論する中で出てきたさまざまな意見を調整することは、民主主義の根幹となる重要な要素です。有子さんは何度も区議会でこの問題を取り上げてくださいました。

 正門は現在地に保存する方針が決まっていたのが、ここに来て移設するという計画が発表されました。活用に向けての道が示されたのは喜ばしいことですが、「平和の門を考える会」では、設計を工夫すれば、正門を敷地内に残し、オリジナリティーのある小学校ができると提案していました。
 移設の計画を出すプロセスに専門家、市民がほとんど関われなかったのは残念です。区には、活用に向けて、市民・専門家との対話をさらに進めて欲しいと思います。

 
 旧中野刑務所正門 通称・平和の門

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