区議会報告 No.93

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否決された議案より

むとうも反対しました

区立児童館条例の一部を改正する条例が1票差で否決12/10

 区立児童館条例の一部を改正する条例が、反対21(自民・公明・稲垣・小宮山・竹村・吉田・むとう)、賛成20(立憲・共産・都ファ・石坂・近藤・立石)の1票差で否決されました

 この条例は、現在ある18館の児童館のうち、朝日が丘・新井薬師・大和西・弥生児童館の4館を廃止するものです

 1965年、区民の要望で、全小学校に学童保育を開設し、小学校区に1児童館の設置を決定。順次児童館を開設。1971年、学童保育を児童館事業に位置付け、翌1972年、学童保育事業を児童館へ移管。
 児童館は28館設置され、午前中は乳幼児親子保育事業、午後は学童クラブと、一日を通して遊び場開放事業を実施。住民による運営協議会を設置し、地域に根差した子育て支援拠点となった。

 2006年策定の「新しい中野をつくる10か年計画」で、乳幼児親子保育事業は民間保育園に、学童クラブと遊び場機能は小学校へ移し、運営を民間委託。児童館は音楽や演劇活動、子育て相談支援を行い、運営を地域育成団体に委ね、中高生が企画運営を行う中高生館を整備するとした。

 ここから児童館のあり方が迷走。2010年の「10か年計画第2次」では、児童館はU18プラザ9館と、全ての小学校に設置するキッズ・プラザに再編するとし、U18プラザ以外の児童館はキッズ・プラザ整備後に廃止としたが、2016年に改定した「10か年計画第3次」で、突然、U18プラザの廃止を提示。U18プラザは9館設置されることはなく、設置した3館を廃止。学童クラブと放課後の遊び場は、小学校に新設するキッズ・プラザへの移行を順次進め、児童館は順次閉鎖され、現在は18館。

 2018年の区長選挙で、児童館の存続を掲げた酒井区長に代わったが、前区長が策定した「10か年計画第3次」を改定せずに「新たな機能を備えた児童館」が検討され、さらなる迷走。

 2021年秋に「基本計画」「区有施設整備計画」を策定し、新たな機能を備えた児童館を各中学校区に1館、計9館に集約。小学校内の学童クラブや民間の学童クラブに入りきれない児童のための学童クラブ専用施設に児童館3館を転用するとした。

 新築小学校に学童クラブに必要な面積を確保せず、定員超過で入れず、設置目的の違うキッズ・プラザで過ごす児童の問題、闇雲な誘致の結果、多額の補助金を支出し定員に満たない民間学童クラブの問題、整合性のない学童クラブ専用館、偏在する子育て広場、中学校区に1館の児童館とした不明確な根拠、児童相談所設置に伴い約70人の職員増にもかかわらず職員定数条例を改定せず、それによる児童館職員の不足等々、課題山積。

 児童や乳幼児親子が歩いて行ける小学校区に1館の児童館が望ましい。4館を廃止せず、「子どもの最善の利益」を念頭に置き、児童福祉法に基づき、児童館のあり方を総合的に再検討するべきと考え、むとうも反対しました


「中野区立児童館条例の一部を改正する条例」反対討論全文

  ただ今上程されました第85号議案「中野区立児童館条例の一部を改正する条例」に反対の立場から、討論をいたします。

 この条例は、現在ある18館の児童館のうち、朝日が丘児童館、新井薬師児童館、大和西児童館、弥生児童館の4館を廃止するものです。

 児童館が造られた経緯は、1963年、東京都が学童保育を予算化したことを新聞紙上で知った区民が「一刻も早く一ヶ所でも多く学童保育を開設してほしい」との陳情を区議会に提出したことがきっかけです。
 翌1964年には上高田、桃園第三、大和、塔の山小学校の4ヶ所で「子どもクラブ」の名称で、学校の空きスペースを使っての学童保育事業が始まりました。当時を知る人に話を聞きました。

 晴れの日はほとんど校庭開放で外遊びをし、一般の子や上級生も交え、ドッジボールやラケット野球などでにぎやかに過ごしていたそうです。しかし、高学年の授業が終わるまではうるさくしてはいけないなど、気を遣いながら放課後までを過ごしていたとのことです。また、雨の日は狭いクラブ室で、折り紙、お絵書き、トランプ等で遊んでいましたが、当時は予算も少なく、道具等の購入は困難をきわめていたそうです。

 1965年には、全小学校で学童保育が開設されました。つまり、児童館より先に学童保育が始まったということです。

 同年1965年、区は小学校区ごとに1児童館を設置する方針を決め、1966年に、中野区で初の南中野児童館と橋場児童館が開設され、その後順次児童館を開設していきます。
 1971年に、学童保育は児童館事業に位置付けられ、翌1972年、学童保育事業が児童館へ移管されました。残念ながら旧東中野小学校区には開設されませんでしたが、児童館は28館設置され、午前中は乳幼児親子保育事業、午後は学童クラブと、一日を通して遊び場開放事業が行われていました。また、住民による運営協議会が設置され、地域に根差した子育て支援の拠点となっていました。

 2006年、区は「新しい中野をつくる10か年計画」を策定し、乳幼児親子保育事業は民間保育園に、学童クラブと遊び場機能は小学校へ移し、運営を民間委託し、新しい児童館は音楽や演劇活動、子育て相談支援を行い、その運営を地域育成団体に委ねるとし、中高生が自主的な企画運営を行う中高生館を整備するとしました。ここから児童館のあり方が迷走し始めました。

 2010年の「10か年計画第2次」では、「児童館はU18プラザ9館と、全ての小学校に設置するキッズ・プラザに再編することとし、U18プラザ以外の児童館はキッズ・プラザ整備後に廃止する。」としたものの、2016年に改定した「10か年計画第3次」の中で、突然、U18プラザの廃止が示されました。U18プラザは9館設置されることはなく、3館は設置したもののこれを廃止しました。

 学童クラブと放課後の遊び場は、計画通り小学校の中に新設するキッズ・プラザへの移行を順次進めてはいるものの、希望者全員が入れる学童クラブはありません。そして、小学校にキッズ・プラザが設置されるごとに児童館は閉鎖されていき、現在は18館に減りました。

 2018年の区長選挙で、児童館の存続を掲げた酒井区長に変わりましたが、前区長の下で策定された「10か年計画第3次」は改定されないまま、児童館については「新たな機能を備えた児童館」なるものが検討され、さらなる迷走をします。

 やっと今年9月に「中野区基本計画」、10月に「区有施設整備計画」が策定され、新たな機能を備えた児童館を各中学校区に1館で、計9館に集約し、小学校内の学童クラブや民間の学童クラブに入りきれない児童のための学童クラブ専用施設に児童館3館を転用することになりました。区長が変わり、児童館は廃止方針から9館残すことになったのだから、それでよい、と甘んじるわけにはまいりません。

 中野区の児童館は、核家族化が進展する社会状況を踏まえて、全国に先駆け、子育てに悩む乳幼児の保護者支援を積極的に展開してきた歴史を持ちます。また、子どもたちが自由な時間を過ごし、同年代の友達や異なる年齢の友達集団の中で、時にはケンカをしながらも理解しあい、共感しあうなど、切磋琢磨する貴重な場だと考えます。

 私は児童館が今後も地域ぐるみで「子どもの最善の利益」を追求すると共に、地域の子育ての拠点の一つとして、さらに積極的にその役割を担っていくことを願い、これまでに廃止された児童館の廃止条例に反対をしてまいりました。

 現在示されている「新たな機能を備えた児童館」という機能は、①居場所・遊びや活動の支援、②乳幼児の子育て支援、③地域の見守り・相談対応、④団体支援・ネットワーク推進です。

 これらはこれまで行っていた機能であり、どれ一つとっても新しい機能ではありません。ただ、小学生の学童クラブに通う児童と放課後遊ぶ児童を小学校の中に追いやっただけのように思います。

 近年、交通事故や犯罪などの心配から、放課後も小学校内で過ごさせたいとの保護者の希望は、理解できます。しかし、希望が叶わず、小学校内の学童クラブに入れず、狭いビルの中にある民間学童クラブで過ごす児童もおり、不平等感が否めません。

 また、友達関係や家庭内などに問題を抱えている子どももおり、かつては、学童クラブ職員が保護者や小学校の担任教師との連携を図り、子どもの立場からの解決方法を探るなど、勤務時間外においても奔走していました。単なる預かり保育ではない役割を担っていたということです。この役割を民間委託で果たして担えているのでしょうか。検証が必要です。

 人件費削減という大人の都合で、子どもたちの学童保育の質が低下することは看過できません。さらに、新築小学校にもかかわらず、学童クラブに必要な面積を確保せず、そのため定員超過で入れず、設置目的の違うキッズ・プラザで過ごす児童の問題もあります。闇雲な誘致の結果、多額の補助金を支出し、定員に満たない民間学童クラブの問題もあります。

 整合性のない学童クラブ専用館、乳幼児を伴う徒歩圏内に無いなど偏在する子育て広場、中学校区に1館とした児童館の妥当性と根拠が不明確、児童相談所設置に伴い約70人の職員増にもかかわらず、職員定数条例を改定せずにやり過ごす強引な姿勢、それによる児童館職員の不足、などなど課題山積です。

 「子どもの最善の利益」を念頭に置いて今一度、児童館、学童クラブ、キッズ・プラザのあり方を総合的に再検討することを再三求めてきましたが、再検討されることはありませんでした。小学校も統合され、29校から20校になります。せめて児童や乳幼児親子が歩いて行けるように、小学校区に1館の児童館があってほしいものです。

 1994年に、遅ればせながら日本が批准した「子どもの権利条約」には、子どもを権利の主体と認め、自分の処遇に関することには子ども自身も関与できるとしました。その判断基準として「子どもの最善の利益」が挙げられ、親や大人や社会の都合でその処遇が決定されるのではなく、子どもにとってどうなのかという視点の重要性が唱えられています。

 これを踏まえ、児童館の存在を鑑みた時、中野区が示す今後の児童館のあり方は、果たして「子どもの最善の利益」を追求していると言えるのでしょうか。財政難や職員定数という大人のご都合で決定したと思わざるを得ません。

 児童館は既に18館しかありません。廃止せず、一度立ち止まり、「子どもの最善の利益」を念頭に置き、今一度、児童福祉法に基づき、児童館、学童クラブ、キッズ・プラザ、子育て広場のあり方を総合的に再検討することを求め、第85号議案「中野区立児童館条例の一部を改正する条例」に対する反対の討論といたします。