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『ネパール地震』
―明日のことは誰にもわからない―
・大きな余震が起きた5月12日、私は故郷のジリにある孤児院の中にいた。昼の12時50分頃マグニチュード7.3の揺れが襲ってきた。震源地は私の村からさほど遠くないサンクハニドルカ郡だった。首都のカトマンズから北東76kmほどの位置にある。
直後、私は破壊された家や山崩れを起こした丘、そして川から黒い雲のような煙が青い空に昇って行くのを見た。まるで地球が吠えるような音を聞いたようだった。私は怖がる子供たちを抱きかかえ安全な小麦畑に連れて行った。子供たちは泣き始めていた。そして、子供も大人も関係なく「お母さん!」「神様助けて!」と叫んでいた。
私は内戦地にも取材をしていたフォトジャーナリストだったので、その経験から村の人たちを助けるのに役立った。私は「もう地震は治まった。もう来ないから心配しなくても大丈夫だよ」と子供たちに話しかけた。しかし、私も内心は怯え体は震えていた。数分の間、家々が崩れ砂利のようになって行った。
・4月25日11時56分、ネパールに信じられないような地震が突如襲って来た。マグニチュード7.8。何千人もの人たちが亡くなった。震源地はバルパ村グルカ郡、カトマンズから北西80kmほどの所だった。
この大地震は19もの地方に影響を及ぼし、山崩れは確認できているだけで847地点にのぼった。
5月下旬の発表で8、500名以上の死者が確認され、22、000名以上が負傷を負い230名のネパール人と80名の外国人旅行客が行方不明のままだ。50万戸以上の家が崩壊、25万戸以上が半壊状態となった。
3才から18才までの生徒のうち87万人が学校に戻れないだろうと推定されている。25万の教室が破壊され、その他1万の教室は修繕が必要とされている。学校以外の建物の修復も大事なことなのは言うまでもない。とりわけ地方の復興が心配である。しかし、重たい機材などは道路が塞がれたままになっているところがあり輸送ができない状態である。
“テント生活者”が都市でも地方でも大勢いる。人々に落ち着きが戻っていない。これから雨季に入る。さらに新たな山崩れ、道路や川が遮断されることが考えられる。遠隔地のドルカ郡やグルカ郡では政府や各国の援助チームの支援を待っている。国際支援のレスキュー隊はすでに離れ、現在医療チームや復興チームが国内に残り支援を続けてくれている。まだまだ各国の支援を必要としている状況である。
・確かに思いもよらない天災により私たちの国は悲惨な思いをしている。しかし、私たちネパール国民は新しい国づくりに向かえる時だとも考えてもいる。私は幸運にも生き延びた。一歩まちがえば私もこの世から去っていたかも知れない。今、世界の皆さんにレポートを送ることができる大切さを身に染みて感じている。
誰にも明日何が起きるかわからない。そのことを学んだ。
※ 写真はすべて5月に撮影したものです。
カトマンズ
カブレ ジリ村
ジリ村 シンドパルチョーク
文と写真:ビビ・フンヤル 訳:志鎌 誠
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