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―ネパール新憲法採択、そして震災後の生活―
今、ネパールはマオイスト派が主導した10年間に渡る内線を経て、新たな永年に渡る憲法を採択した。ラム・バラン・カダフ首相が9月19日、「2015年憲法」にサインした。8つのパートに分かれ305の条文から成る。
しかし、問題になっているのが“(全国を)7つの地域からなる連邦制に分類した”ことだ。
カトマンズの街のあちこちでは住民が爆竹を鳴らしてこの日を祝った。
しかし、この宣言の前、ネパールの南部、インドと国境を接するマデシとテライの民族派が警官隊と衝突を繰り返して数十人の死者を出している。隣国であり大国でもあるインドは(今現在も)非公式に国境を封鎖して、ネパールへのガス、ガソリン、日用品等の輸送が止めている。車がガソリンスタンドの前で列をなし、道路上を走っている車はわずかではある。“燃料クライシス”は首都カトマンズを直撃している。
新憲法は議論を尽くした上、国会議員の90%の支持を得て成立したものだが、私は街に出て聞いてみた。「私たちは今、この国の発展を信じている」と、大学で政治学を専攻している学生は答える。しかし、テライから肉の販売で来ている男性は7つの連邦制の区分けについて、「我々をいつか追い出すものだ」と批判する。
また「インドは成文に反対はしていない」と、話すのは駐ネパール大使のランジット・ラエであるが・・。
2006年、10年間続いていた内戦に終止符を打ち、2008年には240年間続いていた王政にも終止符が打たれた。最近ネパールでは誰もが知っているDr.バタライがマオイスト派から離脱して、そして、南部の民族派マデシに加わった。ただしケンカ別れてはない。彼は何か新しいことを模索しているように思える。
マデシはまだ政府との対話のテーブルには付いていない。インドは安全性を理由に国境を封鎖したままである。ネパール国内は日常物資が不足している。家庭用のガスも欠乏、カトマンズ市内でも薪を使って急場をしのいでいる家庭が増えている。この状況は観光にも保健衛生にもそして教育にも悪影響を与えている。
今年の4月25日に起きた大地震の末、さまざまな理由から精神的な病にかかる人たちも増えている。アルコールに依存することもその一つであり、子供たちの中にも心を閉ざしたままで生活しているケースもある。
私の故郷ジリにも大地震の末、13人の孤児が生まれた。私もこの子供たちのサポートをしている一人であるが、世界の人たちから金銭、食料、衣料等の暖かい援助を受けながら山間の小さな村で生活している。震災直後に得た深い悲しみは癒えて、子供たちは将来に向かって成長していることをお伝えしておきたいと思います。皆様のご支援に心から感謝しています。
文と写真:ビビ・フンヤル 訳:志鎌 誠
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